南山城_(備中国)とは? わかりやすく解説

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南山城 (備中国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 07:24 UTC 版)

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南山城
岡山県
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 毛利氏
築城年 16世紀後半か
主な城主 毛利氏か
廃城年 不明
遺構 曲輪掘立柱建物、溝、畝状空堀群
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯34度37分22.2秒 東経133度43分36.3秒 / 北緯34.622833度 東経133.726750度 / 34.622833; 133.726750座標: 北緯34度37分22.2秒 東経133度43分36.3秒 / 北緯34.622833度 東経133.726750度 / 34.622833; 133.726750
地図
南山城
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北から流れる高梁川と西から流れる小田川との合流点付近に位置する

南山城(みなみやまじょう)は、岡山県倉敷市の旧真備町から旧船穂町にかけてあった日本の城山城[1][注 1]

概要

城跡高梁川小田川の合流点地点にある標高67メートルの丘陵上に築かれており、北に旧山陽道を望むことができる[3]。周辺の歴史背景や畝状空堀群の存在から16世紀後半に毛利氏勢が築いた可能性が指摘されている[4]。城跡は約110メートル四方の規模で、複数の曲輪があり、横矢が設けられている箇所もある[5]

発掘調査

国土交通省の小田川合流点合流点付替え事業に伴い、岡山県古代吉備文化財センターが2017年(平成29年)4月から南山城跡の発掘調査を実施しており[1]、2019年(令和元年)10月末の調査終了後に山ごと姿を消す見込みとされる[6][注 2]。発掘調査成果として、掘立柱建物塹壕の可能性のある溝・つぶて石(投石)と考えられる石が集められた箇所があるのが見つかっている[1]

脚注

注釈

  1. ^ 小山文好は丘城と評価している[2]
  2. ^ 2018年(平成30年)に起きた平成30年7月豪雨での小田川堤防決壊による真備町浸水被害を受けて合流点を高梁川下流に移す改修工事を前倒しするため[7]

出典

参考文献

関連項目




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