南山城 (琉球国)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 南山城 (琉球国)の意味・解説 

南山城 (琉球国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/03 14:19 UTC 版)

logo
南山城
沖縄県
別名 島尻大里城
南山グスク
高嶺グスク
島尻大里グスク
城郭構造 山城
築城主 南山王
築城年 14世紀頃
主な城主 南山王、承察度
汪応祖、他魯毎、尚巴志
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 市史跡(南山城跡)
再建造物 石碑、説明板
位置 北緯26度7分39秒 東経127度41分24秒 / 北緯26.12750度 東経127.69000度 / 26.12750; 127.69000座標: 北緯26度7分39秒 東経127度41分24秒 / 北緯26.12750度 東経127.69000度 / 26.12750; 127.69000
地図
南山城
テンプレートを表示

南山城(なんざんじょう)は、現沖縄県糸満市大里にあったグスク。同市の文化財。

別称は、南山城跡南山グスク高嶺グスク島尻大里グスク

概略

南山王国の王城であり、また南山城がある現糸満市には首都が置かれていた。

国王が代々城主を継いだが、1429年尚巴志により南山王国が滅ぼされ、琉球王国ができると、尚巴志が城主となった。

歴史

創建

細かい創建年代は分かっていないが、14世紀頃、南山城は南山王によって創建されたとされている。

王城

その後、南山王国の王が南山城を王城に用い、南山城がある大里は首都となった。

南山王国の滅亡

1429年、尚巴志が南山王国が滅ぼし、琉球王国が建国されると、大里は首都としての機能を失い、南山城は国王が王城として用いることもなくなった。

琉球処分

1879年に琉球王国がなくなり、沖縄県が設置されると、元琉球王国あたりは大日本帝国が領有した。

沖縄戦

1945年アメリカ軍が沖縄に上陸すると、南山城がある高嶺村では約1600人が犠牲になり、高嶺村があった現糸満市は激戦地となった。そして、終戦後にアメリカは沖縄県を占領した。

交通

  • 那覇市内からは直線距離でおよそ10kmあり、車で30分ほどで行くことができる。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  南山城 (琉球国)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南山城 (琉球国)」の関連用語

南山城 (琉球国)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南山城 (琉球国)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの南山城 (琉球国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS