南京人民大会堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/22 02:13 UTC 版)
南京人民大会堂 | |
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情報 | |
旧名称 | 国民大会堂 |
用途 | 多目的ホール |
設計者 | 奚福泉 |
施工 | 陸根記営造廠 |
構造形式 | 鉄筋コンクリート構造 |
敷地面積 | 3,400 m² |
延床面積 | 5,100 m² |
階数 | 地上4階・地下1階 |
竣工 | 1936年5月5日 |
所在地 |
![]() 江蘇省南京市玄武区長江路264号 |
座標 | 北緯32度02分45秒 東経118度47分16秒 / 北緯32.04583度 東経118.78778度座標: 北緯32度02分45秒 東経118度47分16秒 / 北緯32.04583度 東経118.78778度 |
国民大会堂旧址 | |
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全国重点文物保護単位 中華人民共和国国務院公布 | |
分類 | 近現代重要史跡および代表性建築 |
時代 | 中華民国 |
編号 | 6-931 |
登録 | 2006年 |
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南京人民大会堂(ナンキンじんみんだいかいどう)は、中華人民共和国江蘇省南京市に位置する建築物。中華民国時代の1936年に国民大会堂(繁: 國民大會堂)として建設され、1947年の中華民国憲法施行後は国民大会の議場として使用された。1949年に中国人民解放軍が南京を占領(渡江戦役)した後、現在の名称に改められた。現在は南京市人民代表大会および中国人民政治協商会議南京市委員会の議場として使用されているほか[1][2]、普段は劇場などの文化施設としても使用されている[3][4]。
歴史


1935年9月、国民政府委員会は首都である南京に国民大会の議場を建設することを決議した。設計コンペを実施して集まった14案の中から奚福泉の案が第1位に選ばれたが、最終的には第2位の関頌声・第3位の趙深の案の要素も取り入れられたものとなった。競争入札の結果、施工は陸根記営造廠が担当することとなった。翌1936年の5月5日に竣工し、国民政府主席の林森によって国民大会堂と命名された。国民大会堂は議場の他に文化施設としての利用も想定して建設され、国立戲劇音楽院としても使用されていた[3]。
建築
中央が高い左右対称の形状で、装飾は控えめなシンプルな外観となっている。コーニス・扉・ホワイエには中国の伝統的なモチーフが使用されている。収容人数は約3,400人で、押しボタン式投票装置と通訳装置、良質な音響機器が備えられている[3][5]。
脚注
- ^ “市十七届人大三次会议隆重开幕” (中国語). 南京市人民政府 (2025年1月13日). 2025年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月22日閲覧。
- ^ “市政协十五届三次会议隆重开幕” (中国語). 南京市人民政府 (2025年1月12日). 2025年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月22日閲覧。
- ^ a b c “南京“国民大会堂”旧址昨首次免费开放 首批300多市民参观_中国江苏网” (中国語). jsnews.jschina.com.cn. 2021年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月12日閲覧。
- ^ 网易 (2021年5月20日). “1,600多人观看话剧《雨花台》,为南京地铁建设添动力” (中国語). www.163.com. 2021年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月12日閲覧。
- ^ “d&b入驻「南京人民大会堂」见证历史重要时刻-文章-数字音视工程网DAV01.COM”. www.dav01.com. 2021年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月12日閲覧。
関連項目
- 南京人民大会堂のページへのリンク