北海道余市郡黒川村の真妙流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 03:09 UTC 版)
「真妙流」の記事における「北海道余市郡黒川村の真妙流」の解説
会津藩の黒河内八十郎から佐瀬得所、生亀六蔵に至ったが、戊辰戦争によって師弟離散となり断絶した。棚倉にいた生亀六蔵は、流儀断絶を憂い師範免許を古澤幸三郎藤原友雄(1832-1914)に授けた。明治4年8月(1871年)年古澤友雄は北海道に渡り余市郡黒川村の旧会津藩士団開墾地に入植した。余市郡の会津藩士団は開墾の傍ら子弟を教育するため「日進館」という寺子屋と、柔剣道を教える「講武所」を設けた。「講武所」では、古澤友雄が柔術師範となり真妙流を教えていた。 遠藤貞八郎 倉沢伝之進 黒河内八十郎 佐瀬得所 生亀六蔵 古澤幸三郎藤原友雄大竹忠 青木丑藤
※この「北海道余市郡黒川村の真妙流」の解説は、「真妙流」の解説の一部です。
「北海道余市郡黒川村の真妙流」を含む「真妙流」の記事については、「真妙流」の概要を参照ください。
- 北海道余市郡黒川村の真妙流のページへのリンク