包囲される尼港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 08:50 UTC 版)
1919年11月、コルチャーク政権が崩壊したことによって、白軍は求心力をなくし、勢力を弱めていた。ニコラエフスクにおいても、近郊の村々が次々に占領されていたが、白軍の反撃はことごとく失敗に終わった。白軍司令部は、日本軍の支援なくしてパルチザンに対することができなくなったことを悟ったが、1920年1月には極東の指令本部があったウラジオストクでも政変が起こり、そこで日本軍が白軍を支持しなかったことが手伝い、日本軍との関係も微妙なものになっていた。市内においても、港湾労働者などを中心に、パルチザンの到来を待つ人々も増えてきていた。
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