勝手掛老中とは? わかりやすく解説

勝手掛老中

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 13:57 UTC 版)

老中」の記事における「勝手掛老中」の解説

勝手掛老中が設置されたのは延宝8年1680年)のことで、5代将軍徳川綱吉堀田正俊農政財政などの経済部門専管させたのが始まりであった。しかし、堀田貞享元年1684年)に死んだ後、徳川吉宗8代将軍就任し勘定所機構改革着手した享保期までこの職に任命される者はいなかった。 吉宗政権下で最初に勝手掛老中に任命されたのは水野忠之で、享保7年1722年5月15日就任してから老中退任する享保15年1730年)まで、財政再建ため年増徴新田開発2つ政策推進した水野退任後、再び空席となったが、元文2年1737年6月14日松平乗邑が勝手掛老中に就任。「金穀出納掌るべき旨仰をかうぶ」ることになった乗邑は農財政全て管掌することになり、関東地方御用掛の職を務めていた大岡忠相も「月番無構(かまいなく)」(老中月番関わりなく)農政に関することは全て乗邑に報告するよう指示され

※この「勝手掛老中」の解説は、「老中」の解説の一部です。
「勝手掛老中」を含む「老中」の記事については、「老中」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「勝手掛老中」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「勝手掛老中」の関連用語

勝手掛老中のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



勝手掛老中のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの老中 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS