加賀前田家から徳川将軍家へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 16:48 UTC 版)
「津田遠江長光」の記事における「加賀前田家から徳川将軍家へ」の解説
1596年(文禄5年)には当時越中富山城主であった前田利長に召し抱えられる。重久は前田家にて後に五千五百石を給せられるとともに、1603年(慶長8年)には大聖寺城代まで累進した。所蔵元の徳川美術館の見解では、これらの関係によって津田家から加賀金沢藩第3代藩主利常へ献上されたものされている。1708年(宝永5年)11月に第4代藩主綱紀の代には、嫡男である吉徳の正室として徳川幕府第5代将軍徳川綱吉の養女である松姫を迎えるに合わせて本作が降嫁の返礼として贈られることになった。本作を本阿弥光忠の許へ送って金二百枚の折紙を付けた上で、同じく名物である乱光包とともに11月30日に綱吉に献上された。
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