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加藤富之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/21 00:04 UTC 版)

加藤 富之助(かとう とみのすけ、1889年明治22年)12月22日 - 1967年昭和42年)10月15日)は、日本の政治家。元山形県会議員、元山形県議会議長。[1]

経歴

山形県米沢市生まれ。米沢商業学校卒業後、米沢工業学校に学び、織物製造会社に就職。

昭和14年9月25日に山形県会議員選挙に初当選、昭和22年4月30日に山形県議会議員選挙に再選。昭和22年5月27日に山形県議会議長に就任。

昭和26年4月の県議会議員選挙に再選(3選)し、同年5月18日より県議会議長に再選。

昭和30年4月に県議会議員選挙に再選(4選)、同年5月6日に県議会議長に再選(3選)。

昭和34年4月に県議会議員選挙に再選(5選)し、同年5月8日に県議会議長に再選(4選)。

昭和36年に消防功労者として藍綬褒章を受章。

昭和38年4月に県議会議員選挙に再選(6選)し、同年5月7日に県議会議長に再選(5選)。

昭和38年に自治功労者として藍綬褒章を受章。

昭和40年に勲三等瑞宝章を受章。

昭和42年4月の県議会議員選挙に再選(7選)し、同年4月29日に議長を辞任した。

昭和42年10月15日に、山形県議会議員の現職のまま心筋梗塞逝去した。逝去に際し、正五位並にが贈られた。葬儀は山形県議会葬で行われた。

その他

  • 20年間という長期間にわたり県議会議長を務めたのは、山形県議会始まって以来のことであり、全国的にも稀な功績であった。
  • 趣味川柳で、「恋化僧(れんげそう)」の雅号で山形新聞川柳壇の選者でもあった。

脚注

  1. ^ 『山形県議会歴代議員名鑑』山形印刷、1973年3月24日、180頁。 



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