加藤きん (看護師)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 加藤きん (看護師)の意味・解説 

加藤きん (看護師)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 02:23 UTC 版)

加藤 きん(かとう きん、1890年明治23年〉8月12日 - 1980年昭和55年〉1月12日)は、日本看護師[1][2]

宮城県登米郡佐沼町(現・登米市)に生まれる。1911年明治44年)に日本赤十字社宮城県支部救護看護婦養成所に入学[3]1914年大正3年)に卒業して、日本赤十字社中央病院看護師(当時は「看護婦」)となる[4]

第一次世界大戦中の1915年大正4年)から1年間、遣仏救護班看護婦としてフランス赤十字社に派遣され、救護活動に従事し、その後はシベリア出兵の際にも傷病者の看護に当たった[3][4]

日中戦争中は、看護婦長として赤十字病院船に乗り込み[4]、中国の上海南京九江などに合わせて10回派遣された[3]

1948年昭和23年)、日赤中央病院看護婦監督を最後に日本赤十字社を退職し、郷里の宮城県佐沼高等学校養護教員となった[1][2]

1953年(昭和28年)、フローレンス・ナイチンゲール記章を授与された[1][2]

脚注

  1. ^ a b c 加藤きん」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E3%81%8D%E3%82%93コトバンクより2023年12月28日閲覧 
  2. ^ a b c 加藤 きん」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E8%97%A4%20%E3%81%8D%E3%82%93コトバンクより2023年12月28日閲覧 
  3. ^ a b c 登米市の偉人伝(1) 加藤きん女史”. 登米市. 2023年12月28日閲覧。
  4. ^ a b c 加藤 きん ― 国境を越えて命を救う ―” (PDF). 宮城県. 2023年12月28日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  加藤きん (看護師)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「加藤きん (看護師)」の関連用語

加藤きん (看護師)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



加藤きん (看護師)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの加藤きん (看護師) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS