加治川の桜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/18 07:27 UTC 版)
かつて川岸には約6,000本の桜が数十kmにわたって連なり、「長堤十里、日本一」(または東洋一、世界一)とうたわれる桜の名所であった。この桜は1915年(大正4年)ごろに加治川分水路の完成と大正天皇即位の記念として植えられたものである。流域の羽越本線には加治川仮乗降場が1962年(昭和37年)まで存在した。 しかし1966年(昭和41年)と1967年(昭和42年)の水害後、河川改修の支障となり桜はすべて伐採されてしまった。真偽は定かではないものの、桜の根が堤防を弱めたという説も見られた。 伐採後も桜並木の復元を望む声は多く、1989年(平成元年)に国の「桜づつみモデル事業」として認定を受け、桜並木の復元が進められている。復元にあたっては、桜の根が破堤を招いたとの説に配慮し、堤防の外に築いた副堤に桜が植樹されている。 現在では加治川からかつての加治川沿いまで約2,000本の桜が見られるようになっている。
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