初代 服部半蔵(半三)保長/正種
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:11 UTC 版)
「服部半蔵」の記事における「初代 服部半蔵(半三)保長/正種」の解説
生没年不詳。伊賀出身の忍者であったとされる。伊賀を出て室町幕府12代将軍足利義晴に、続いて三河にて松平清康に仕える。三河移住後の保長の詳細は不明であるが、岡崎市伊賀町周辺に居住したとされ、隠居後は号を浄閑として岡崎城下で没した。名は半三郎、法号は道可。名や出生地については、伊賀国予野荘の服部(千賀地)保長が寛政重修諸家譜をはじめ通説となっているが、3代目半蔵正就の子孫が仕えた桑名藩の服部家譜は名を服部正種とし、今治藩の家譜では伊賀国荒木(阿拝郡荒木)の服部正種と記されている。 詳細は「服部保長」を参照
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