出自・皇帝に即位する前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 18:12 UTC 版)
邢州堯山県(現在の河北省邢台市隆堯県)の出身。郭簡と王氏のあいだの子。父は晋王李克用の時代に刺史に任じられたが、郭威が3歳の頃に戦乱に巻き込まれて戦死したために家門は没落し、養母の韓氏に養育された。 成長した郭威は、一兵卒から立身して、劉知遠にその才能を見出され重臣となった。劉知遠が後漢を建国するに際し大功を挙げ、枢密副使にまで昇進している。 岡田英弘は、「現在の地図を見ると、河北省の南端に隆堯県と邢台市があり、互いに隣接している。そればかりではない。じつは鮮卑の唐が興ったのも隆堯県であり、その先祖の李熙・李天錫の二代の墓がここにあり、李天錫の息子が李虎であった。つまり隆堯県は、鮮卑の住地だったのである。これから考えると郭威・柴栄ももともとは鮮卑だったと考えてよい」と述べている。
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