冨田勲に「弟子入り」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 16:32 UTC 版)
1970年に大阪万博を観た後に、大阪市内の楽器店兼レコード店で、ウォルター・カーロスの『スウィッチト・オン・バッハ(Switched-On Bach)』を聴いたことをきっかけとして、シンセサイザーの自動演奏に興味を持つ。 1971年6月、冨田勲のマネージメント会社であるインターパックに入社。音楽関係者であった父親の伝手で、俗に「弟子入り」と言われている。同年10月にはモーグ・III-Pが冨田のもとに到着し、当時日本には数台しかなかったモーグシンセサイザーによる音楽制作のスタッフを経験する。 その後1972年にモーグ・III-Cを購入、1974年に音楽制作会社エム・エー・シー(MAC,Musical Advertising Corps.)を設立して独立する。
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