円通寺 (堺市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 00:37 UTC 版)
円通寺 | |
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所在地 | 大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町五丁61 |
位置 | 北緯34度33分18.19秒 東経135度29分35.72秒 / 北緯34.5550528度 東経135.4932556度座標: 北緯34度33分18.19秒 東経135度29分35.72秒 / 北緯34.5550528度 東経135.4932556度 |
山号 | 耳原山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
創建年 | 奈良時代 |
開基 | 行基 |
札所等 | 和泉霊場第10番 |
法人番号 | 6120105000704 |

沿革
行基が開山した無本寺であったが、元禄4年(1691年)に高野山真別所の末寺となった。
足利尊氏が祈願所としたとする証文も残っている。
今井宗久書札留によると「圓通寺 衆僧五、六十人あり 寺領百石斗あり」との記載がある[1]。
現在は、小さな堂宇のみが残っているが、かつては大きな敷地を持つ寺だったようである。「古は、二十坊を存せしという」「境内は二七四坪を有し、本堂・庫裏を存す」とある[2]。
文化財
重要文化財
観音菩薩立像
かつて円通寺に客仏[4]として安置されていたが、現在は堺市の所有になっている(堺市博物館保管)。
一木造で像高は74.0cm。用材は白檀(びゃくだん)と鑑定されており、日本に伝存する檀像(だんぞう)としては最古に属する。檀像とは、本来は香木の白檀を用いて作った仏像を指すが、日本ではカヤ等の代用材を用いた像のことも檀像と呼んでおり、木目の美しさを生かすため、目、唇等以外には彩色を施さないのが通例である[5]。本像は両肩から先と、両足先を欠失する。頭部の大きなプロポーション、扁平な肉付け、腹を突き出し気味に直立するポーズなどは古様で、制作時期は飛鳥時代、7世紀後半と推定される。
平成2年(1990年)6月29日、重要文化財に指定された[6][7][8]。

脚注
- ^ 堺市史続編第5巻 p.915 昭和49年8月20日発行
- ^ 大阪府全志巻之五 井上正雄著 清文堂 初版・大正11年11月30日発行/復刻昭和51年2月10日発行 p.422
- ^ “大阪府宗教法人名簿”. 大阪府. 2019年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月24日閲覧。
- ^ 客仏とは、寺院あるいは仏堂に元から祀られていたのではなく、他所から持ち込まれた仏像の意。
- ^ 井上正「日本彫刻史の編年と’’感得’’像」『学叢』20、京都国立博物館、1998、p.104(参照:[1])
- ^ 「改訂増補版ハンドブック 堺のハンドブック」 堺市長公室文化部文化財課 2009年3月
- ^ 伊藤史郎, 1990「円通寺旧蔵観音菩薩立像について--初期小壇像との関連-」学叢 12. pp. 31-48
- ^ 「もず野七町散歩マップ」 魅力あふれる百舌鳥野をつくる会 2017年1月 p.27
外部リンク
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