共公 (秦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/22 07:18 UTC 版)
共公 | |
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秦 | |
第11代公 | |
王朝 | 秦 |
在位期間 | 前608年 - 前604年 |
都城 | 雍城 |
姓・諱 | 嬴稲 |
諡号 | 共公 |
生年 | 不詳 |
没年 | 前604年 |
父 | 康公 |
陵墓 | 竘社(康公陵南) |
共公(きょうこう、? - 紀元前604年)は、秦の第11代公。康公の子。
生涯
康公12年(前609年)春、康公が薨去したため、子の稲(とう)が立って秦君(以降は共公と表記)となった。
共公元年(前608年)冬、晋が秦の同盟国である崇に侵攻した。
共公2年(前607年)春、秦軍は前年の報復として晋を攻撃し、焦(晋の邑)を包囲した。9月、晋の趙穿が主君の霊公を殺した。
共公3年(前606年)、楚の荘王が強盛となり、北上して周都の雒(洛邑)へ進軍し、周の鼎(かなえ)の軽重を問うて天下を乗っ取ろうとはかった。
共公5年[1](前604年)春、薨去し、子の桓公が立って秦公となった。
脚注
参考資料
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