六阿弥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 08:43 UTC 版)
「安養寺 (京都市東山区)」の記事における「六阿弥」の解説
時宗に改宗後は住持は代々「阿弥」号を名乗り、也阿弥、正阿弥など六つの塔頭すべてに「阿弥」が付いていた。勝興庵正阿弥,長寿庵左阿弥,花洛庵重阿弥,多福庵也阿弥,延寿庵連阿弥,多蔵庵源阿弥の6つがあり、「六阿弥」「円山の六坊」などと呼ばれた。江戸時代には、六阿弥それぞれが民衆へ席を貸す「貸座敷」を営み、その卓越した眺望と林泉美を背景に詩歌連俳、歌舞遊宴の名所地として知られた。明治に入ると也阿弥、連阿弥、重阿弥が合併して「也阿弥ホテル」として宿と料理屋を営み、とくに外国人用宿として海外でも評判をとった。これら塔頭も明治維新後の境内の官収や火災で姿を消したが、現在円山公園内にある料亭「左阿弥」はかつての六塔頭のうち唯一残存したもの。弁天堂前にあった六坊の一つ重阿弥は赤穂浪士が円山会議を開いたところである。
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