元皇帝のアメリカ入国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 10:03 UTC 版)
「イランアメリカ大使館人質事件」の記事における「元皇帝のアメリカ入国」の解説
パフラヴィー元皇帝とその家族、側近らは一旦はアンワル・アッ=サーダート大統領の承認のもとでカイロに亡命した後、モロッコやバハマ、メキシコを転々とした。 パフラヴィー元皇帝とその家族、側近らはメキシコに滞在中、「癌の治療」のためという名目でアメリカへの入国(事実上の亡命)を求め、アメリカ政府に接触した。 ジミー・カーター大統領は、この要請を受けることでイランの新政権との間で軋轢が起きることを憂慮し、退けようとしたが、パフラヴィー元皇帝の友人だったヘンリー・キッシンジャー元国務長官らの働きかけを受け、最終的に「人道的見地」から入国を認め、元皇帝とその一行は10月22日にニューヨークに到着した。 しかしこれに対しイランの革命政権は激怒し、アメリカ政府に抗議すると同時に、テヘランのアメリカ大使館には毎日のように反米デモが行われるようになっていた。
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