備前長船光忠について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 16:02 UTC 版)
鎌倉時代時代に備前国で活躍した刀工である備前長船光忠の作である。光忠は長船派の祖として知られており、その鍛刀技術も歴代随一であるとされている。光忠の作風には、製作年代の違いによって大きく分けて二つがあり、一つは身幅が広く切先(きっさき、刃の先端部分)は猪首切先(いくびきっさき、先幅は大きいが長さが短いこと)となっているもの、もう一つが身幅・切先ともに通常のものがあり、在銘のものは後者が多いとされる。鍛えは小板目(こいため、板材の表面のような文様が細かく詰まったもの)に杢目(もくめ、木材の木目のような文様)交じり、地沸(じにえ、平地の部分に鋼の粒子が銀砂をまいたように細かくきらきらと輝いて見えるもの)がついて乱映りがたつと言われている。刃文(はもん)は、丁子に互の目(ぐのめ、丸い碁石が連続したように規則的な丸みを帯びた刃文)が交じり、丁子の頭が切れて飛焼状になった蛙子丁子(かわずちょうじ)という光忠独特の腰のくびれた丁子を得意としている。
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