倉島丹浪とは? わかりやすく解説

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倉島丹浪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 00:35 UTC 版)

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倉島 丹浪(くらしま たんろう、1899年明治32年)4月22日 - 1992年平成4年)12月23日)は、日本画家河童の絵を多く手掛けた。

経歴

長野県埴科郡倉科村(現・千曲市)生まれ。旧制長野中学に進む。1921年大正10年)、上京し、本郷絵画研究所に学び、橋本静水に師事。1926年(大正15年)、横山大観に入門。1930年昭和5年)、野木逸子と結婚。「八代宗彦」の名で漫画家として活躍。戦後、屋代町(現・千曲市屋代)の芸術家集団白炎社設立に参加。1969年(昭和44年)、創作画協会の設立に尽力、特別理事に就任。1974年(昭和49年)、紺綬褒章受章。1980年(昭和55年)、更埴市長表彰。1992年平成4年)、死去。享年93歳。

著書

  • 『おにんぎょうのおきゃくさま』信友社出版部、1948年

挿絵

  • 朝倉真衣『おしょうさん・天ぐさん』青葉書房、1957年

参考文献




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