信長との宗論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 08:34 UTC 版)
1579年(天正7年)5月、安土城の織田信長は日蓮宗弾圧を目論み、安土宗論への出席を日珖に命じた。日珖の日記「己行記」によると27日に法難を受け、29日から6月12日まで安土正覚院に篭居を命ぜられた。12日に赦免され、坂本、京都を経て堺に帰りついたのは22日のことだった。信長に「命を捨てるか、宗旨を変えるか」と迫られ、殴られ半死半生の目に遭わされ、一方的に詫証文を書かされ、曼荼羅に血判を捺させられての末のことであった。
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