侯子宮殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 19:06 UTC 版)
1803年からナッサウ=ウージンゲン侯として、1806年から1816年までナッサウ公として統治することになるフリードリヒ・アウグスト(ドイツ語版、英語版)は侯子時代、旧ハットシュタイン邸跡に、ヨハン・ヴィルヘルム・ファーバーに宮殿を建設させた。彼は侯子時代にはこの宮殿に住んだが、侯に登位した後はその住まいをビープリヒ城(ドイツ語版、英語版)に移した。 ウージンゲン郡の設置に伴い侯子宮殿は郡長官邸に改築され、さらに付属建築が建設された。ヘッセン州の地域再編によりウージンゲン郡は廃止され、ホーホタウヌス郡の一部となった。侯子宮殿は当初郡役場の出張所とされ、自動車登録書事務所が入居した。 やがて老朽化した付属建築は取り壊され、修復プロジェクトがスタートした。
※この「侯子宮殿」の解説は、「ウージンゲン」の解説の一部です。
「侯子宮殿」を含む「ウージンゲン」の記事については、「ウージンゲン」の概要を参照ください。
- 侯子宮殿のページへのリンク