佐野鹿十郎とは? わかりやすく解説

佐野鹿十郎

読み方:サノシカジュウロウ(sanoshikajuurou)

初演 明治35.11(京都歌舞伎座)


佐野鹿十郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 10:19 UTC 版)

佐野 鹿十郎(さの しかじゅうろう、生没年不詳)は、安土桃山時代江戸時代剣客薩摩藩士佐野帯刀の次子。

人物

慶長13年(1608年)、島津家久琉球征伐のとき、軍令にそむいて追放され、肥後熊本の熊見川沿岸で漁業をいとなんでいたところ、そこに熊本藩の剣道師範浮田伝五右衛門の妻とむすめがそこに花見にきて、悪漢にくるしめられていたのをすくったことなどが縁となって、浮田方の食客となった。 浮田には民十郎、民之助という2子がいて、浮田の弟子の立花主水は浮田のむすめに恋文をおくって破門されたのをうらみ、藩侯の宝蔵の刀をぬすんで民十郎のせいにして、民十郎は追放され、浮田は閉門となった。 ときに、主人の家に大館七郎左衛門という八重垣流の剣客がいて、そのてなみを藩侯にみせて仕をもとめていたが、適当な相手がいないため、特に閉門ちゅうの浮田に命じて大館と試合をさせたところ、浮田が勝った。 主水、大館はこれをうらみ、その夜、浮田方をおそって浮田をころした。 浮田は、鹿十郎をむすめのむことするよう、敵討ちの加勢をするよう遺言した。 鹿十郎は民之助とともに敵討ちにでて、民之助は近江で大館のために返り討ちにあったが、寛永9年(1632年)、ついに越前福井で大館を民十郎とともに討ち取り、かつ宝蔵の刀を大館の家から取り返し、冤罪をはらした。 のち、熊本藩につかえ、800石を領したが、薩摩侯が切に請うて鹿十郎を召還した。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐野鹿十郎」の関連用語

佐野鹿十郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐野鹿十郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐野鹿十郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS