会社員時代、独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:49 UTC 版)
ソニーでは生産技術部門に配属され、光磁気記録を応用したロータリーエンコーダの開発にも従事するが。しかしプラネタリウム製作にかける情熱は冷めることがなく、仕事が終わってからプラネタリウム作りを続けた。1998年には、当時世界最高の170万個の恒星を投影することが可能な、重量わずか30キログラムの移動式プラネタリウム「アストロライナー2(後のメガスター)」を個人で完成させた。 2000年頃に退職を申し出るが、経緯を説明したところソニーで事業化が検討されることになる。メガスターの上映会には取締役会議長であった大賀典雄、会長であった出井伸之も参加したほどであったが、組織での開発に行き詰まり、2003年にはソニーを退社してフリーとなる。退社当時の社長であった安藤国威は大平の退社を社内報のコラムで取り上げ、退社に至ったことへの自省を綴った。大平にとってもソニーでの事業化の検討はその後の事業展開に好影響を与えていた。
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