伊藤観魚とは? わかりやすく解説

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伊藤観魚

読み方いとう かんぎょ

俳人名古屋生。名は銈太郎。書は龍眼会、絵は中村不折らに学ぶ。歿後句集『観』が刊行された。昭和44年1969)歿、91才。

伊藤観魚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/22 08:16 UTC 版)

いとう かんぎょ
伊藤 観魚
生誕 伊藤 銈次郎
(1877-10-10) 1877年10月10日
日本愛知県愛知郡西魚町2丁目(名古屋市中区丸の内三丁目)[1]
死没 (1969-02-10) 1969年2月10日(91歳没)
日本名古屋市中村区日吉町稲本寮[2]
墓地 光圓寺(名古屋市中川区万場二丁目)・浄国寺(海部郡大治町[3]
記念碑 凌雲寺(名古屋市中村区稲葉地本通[4]
国籍 日本
職業 俳人

伊藤観魚(いとうかんぎょ、1877年10月10日 - 1969年2月10日)は、愛知県名古屋市中区出身の俳人

概要

観魚は1877年明治10年)10月10日、愛知郡西魚町2丁目(名古屋市中区丸の内三丁目)に所在した料亭「近直」(きんなお)経営伊藤直吉の次男伊藤銈次郎として出生[1]

1901年(明治34年)、兄の天籟とともに塩谷華園・黒部烏不関らによる句会「大根会」に入会し、同会雑誌『華大根』の編集に参加する[5]。同会の影響により、河東碧梧桐との親交を得る[5]。30歳を過ぎて、碧梧桐を頼って上京し、中村不折洋画を学ぶ[6]1912年(明治45年)6月、碧梧桐・不折らの「龍眠会」の設立に参画[6]

1923年大正12年)ごろ帰名、近直の離れに母とともに暮らすようになる[7]

1945年昭和20年)5月17日空襲により、家財一切を焼失し、名古屋市東区池内本町に移住[8]1946年(昭和21年)5月、名古屋市中川区八田本町に移った[2]1969年(昭和44年)1月、国立名古屋病院に入院したことを機に、名古屋市中村区日吉町稲本寮に引っ越す[2]。同年2月10日、死去[2]。翌日、中村観音において葬儀が営まれ、参列者は500人と記録されている[9]

1970年(昭和45年)2月、名古屋市中川区富田町万場の光円寺境内に祀られ、海部郡大治町浄国寺にも分骨されている[3]。またこれとは別に、名古屋市中村区稲葉地本通凌雲寺に小さな碑が残されている[4]

1969年(昭和44年)4月、遺言に従って名古屋市中村図書館にコレクション約350冊が寄贈され、「観魚文庫」として整備される[10]

脚注

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  1. ^ a b 赤井達郎 1981, p. 9.
  2. ^ a b c d 赤井達郎 1981, p. 15.
  3. ^ a b 観魚会 1981, p. 314.
  4. ^ a b 観魚会 1981, p. 315.
  5. ^ a b 赤井達郎 1981, p. 10.
  6. ^ a b 赤井達郎 1981, p. 11.
  7. ^ 赤井達郎 1981, p. 12.
  8. ^ 赤井達郎 1981, p. 13.
  9. ^ 観魚会 1981, p. 313.
  10. ^ 名古屋市中村図書館 1991, p. 35.

参考文献

  • 観魚会 編(日本語) 『伊藤観魚遺作集』観魚会、1975年9月10日。 
  • 観魚会 編(日本語) 『観魚 拾遺』観魚会、1981年2月10日。 
  • 赤井達郎「観魚 その人と書」(日本語) 『観魚 拾遺』1981年2月10日、7-25頁。 
  • 名古屋市中村図書館 編(日本語) 『さようなら配水塔の図書館―中村図書館25年のあゆみ―』名古屋市中村図書館、1991年3月3日。 


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