伊藤武雄_(1909年生のドイツ文学者)とは? わかりやすく解説

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伊藤武雄 (1909年生のドイツ文学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/08 03:49 UTC 版)

一番右の人物が本項目で取り上げる伊藤武雄(他の4人は同姓同名の人物である。1951年撮影)

伊藤 武雄(いとう たけお、1909年明治42年)1月11日 - 1977年昭和52年)9月16日)は、日本ドイツ文学者

人物・生涯

大阪府大阪市生まれ。1921年大阪市浪速区難波立葉尋常小学校卒、1925年大阪府立市岡中学校四年修了、1928年第三高等学校文科乙類卒業、1931年東京帝国大学文学部独文科卒。

1933年に宇都宮高等農林学校非常勤講師に就いたのを皮切りに1934年に第八高等学校専任講師、1935年教授に就任し、1948年に名古屋大学に転じて文学部助教授、1958年教授に就任した。

1959年ケラー叙事文学の研究」で名大文学博士[1]。同著で中日文化賞受賞。1972年に定年で退官した後は名誉教授となった。

同姓同名のドイツ文学者

金沢大学教授で、1895年生まれの伊藤武雄と紛らわしく、ケラーの専門家だが、岩波文庫『緑のハインリヒ』の訳者は金沢大の伊藤武雄である。また『シュトルム選集 第7巻』には、2人の伊藤武雄の翻訳が入っている。

翻訳

  • シュトリヒ『世界文学と比較文学史』伊藤雄訳 建設社、1933年
  • ケラー『顰め面のパンクラーツ・櫛屋の三義人 「ゼルトヴィラの人々」より』郁文堂書店、1947年
  • ケラー『青春回想 グライフエンゼーの代官』世界文学社、1948年
  • ケラー『ゼルトヴィーラの人々 第1部』角川文庫、1953年
  • 『シュトルム選集』第7巻「桶屋のバッシュ」清和書院、1959年
  • フォイエルバッハ「死と不死について」『世界人生論全集 第13』筑摩書房、1963年

記念論文集

  • 『ドイツ文学論集 伊藤武雄教授還暦記念』南江堂、1969年

参考

  • 伊藤武雄教授略歴・主要業績 名古屋大学文学部研究論集、1972 - 03
  • 『人物物故大年表』 

脚注

  1. ^ 「略歴」では学位取得大学を大阪大学としているが、国立国会図書館では名古屋大学となっている。

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