伊丹酒・池田酒・灘酒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:39 UTC 版)
「日本酒の歴史」の記事における「伊丹酒・池田酒・灘酒」の解説
伊丹酒や池田酒の評判はつとに高まり、元文5年(1740年)には伊丹『剣菱』が将軍の御膳酒に指定された。江戸市中の酒の相場でも、伊丹酒や池田酒は他の土地の酒に比べはるかに高値で取引されていた。 しかしこのころから神戸・西宮あたりの灘目三郷が新興の醸造地域としてすでに注目を集め始める。後世、銘醸地の代表格となる灘が、最初に文献に登場するのは正徳6年(1716年)であるが、享保9年(1724年)の下り酒問屋の調査では、灘目三郷の名が伊丹酒を追い上げる酒の生産地として報告書に記載されている。これが江戸時代後期の灘五郷である。
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