今市御殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 14:19 UTC 版)
今市宿には、寛永9年(1632年)までに御殿が設けられ、寛文5年(1665年)に下賜、寛保2年(1742年)に焼失した。如来寺(浄土)の寺院境内にあり、山門とは別に御殿専用の御成門が設けられていた。今市御殿は、『徳川実紀』によると徳川秀忠の元和8年(1622年)、寛永5年(1628年)、家光の寛永期から慶安元年(1648年)、家綱の慶安2年(1649年)で、日光社参の休泊地として利用された。 今市御殿は、寛永9年(1632年)までに如来寺境内に設けた。この年は、家康の17回忌で、それまでに日光社参は数回行われていたが、まだ専用の休泊施設はなかったため、寺の建造物で休泊した。寛永9年 - 寛文5年(1665年)の間、今市御殿は利用された。御殿の維持・修繕は幕府が行い、寛永11年(1634年)、13年、17年、慶安元年(1648年)、2年、5回の修復されている。寛文5年(1665年)には、御殿を如来寺に下賜。寛保2年御殿が焼失したが、御殿の再建はされなかった。寛保2年以降、日光社参が2回行われているが、如来寺で休憩したという。
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