今井兼文_(初代)とは? わかりやすく解説

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今井兼文 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/06 11:52 UTC 版)

初代 今井 兼文(いまい かねふみ[1]1828年8月17日文政11年7月7日) - 1901年明治34年)5月10日[1])は、日本医師[2]、和漢洋書籍商活版印刷[3]今井書店創業者。

経歴

備前岡山藩医・難波玄民の子として生れる[4]。家は代々藩の医士である[5]。美作神代村の母方のもとで生活する[4]。幼少にして父を亡くし、母方の今井姓を名乗る[6]。母とは12歳のときに死別する[6]

岡山の石井藩医邸に住み込んで医学の勉強を始める[6]。豊後の帆足万里に師事し[4][6]儒学を研鑽する[5]長崎で西洋医学を修行し、一旦岡山に帰る[4]1857年安政4年)、米子に移って荒尾氏に仕え、米子組儒医となった[1][6]種痘を行う[4]

明治維新があり、米子組士族となり俸禄を賜わる[5]。勝田神社の祠官となる[5]1872年(明治5年)、米子尾高町で今井郁文堂を開業する[1]1884年(明治17年)、書店の隣に印刷所を開設する[1][6]。1901年(明治34年)5月10日、病気のため死去する[5]享年74[5]。親類と旧友は相議して安国寺域内に葬る[5]

人物

は甃[5]は子潔[5]。雪窓とし、書をよくする[6]。幼字は芳平[5]。更めて芳斎と称し、後に兼文と改める[5]

家族

今井家

脚注

  1. ^ a b c d e 今井 兼文とはコトバンク。2023年10月6日閲覧。
  2. ^ 『帝国医籍宝鑑』491頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月6日閲覧。
  3. ^ 『日本全国商工人名録』1119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月6日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『日本医史学雑誌 = Journal of the Japanese Society for the History of Medicine 37(4)(1464)』531 - 532頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月6日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 雪窓之碑(東海綿引泰撰文、米子市寺町 安国寺)。
  6. ^ a b c d e f g “創業者について”. 今井書店グループ. 2023年10月6日閲覧。
  7. ^ a b 『財界二千五百人集 本編』359 - 360頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月6日閲覧。

参考文献

  • 白崎五郎七編『日本全国商工人名録』日本商工人名録発行所、1892年。
  • 山口力之助編『帝国医籍宝鑑』南江堂、1898年。
  • 『日本医史学雑誌 = Journal of the Japanese Society for the History of Medicine 37(4)(1464)』日本医史学会、1991年。
  • 財界二千五百人集編纂部編『財界二千五百人集 本編』財界二千五百人集編纂部、1934年。



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