人参代往古銀の鋳造量
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/07 16:06 UTC 版)
「人参代往古銀」の記事における「人参代往古銀の鋳造量」の解説
宝永年間から正徳丁銀発行までの京都の銀座における鋳造高は5,337貫156匁4分(19.9トン)であり、この内、対馬藩に渡された丁銀は5,197貫500匁(19.4トン)である。渡高の内訳は宝永7年(1710年)分が945貫、正徳元年(1711年)、2年(1712年)、3年(1713年)はそれぞれ規定額の1,417貫500匁であったが受け渡しは1、2年遅れるのが常であった。 公儀灰吹銀から丁銀を吹きたてる場合の銀座の収入である分一銀(ぶいちぎん)は渡された灰吹銀に対する3%と設定された。
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