亡命政府の一部の合流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/30 10:05 UTC 版)
「ポーランド国民解放委員会」の記事における「亡命政府の一部の合流」の解説
1944年12月31日、ルブリン委員会にポーランド亡命政府のメンバー数名が参加し、その中には亡命政府首相スタニスワフ・ミコワイチクがいた。ただし、亡命政府の本体はそれに同調せず、その後も共産主義ポーランドとの対決姿勢を強めていく。ソ連軍がワルシャワに入城した後の1945年1月、委員会はポーランド共和国臨時政府 (Rząd Tymczasowy Rzeczypospolitej Polskiej, RTRP) へ改編された。臨時政府は、選挙が行われるまで、ナチス・ドイツから赤軍が奪還した地域を統治するものとされた。
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