五十嵐甚蔵_(初代)とは? わかりやすく解説

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五十嵐甚蔵 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 14:15 UTC 版)

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初代 五十嵐甚蔵

初代 五十嵐 甚蔵(いがらし じんぞう、1845年(弘化2年10月[1][2][3]) - 1911年(明治44年)3月20日[3])は、明治時代の政治家銀行家大地主[2]貴族院多額納税者議員。諱は信澄、号は梅雨山人[1]

経歴

越後国蒲原郡金屋村(新潟県北蒲原郡金屋村、笹岡村笹神村を経て現阿賀野市)出身[1]。19歳の時、父が没し家督を相続する[1]

1870年(明治3年)越後府により治河会議所会計方試補に任ぜられ、1872年(明治5年)小区戸長となった[1]1875年(明治8年)第22大区長を最後に官職を辞した[1]

1879年(明治12年)同志と共に第百十六国立銀行[注 1]を設立し、頭取に就任した[1]1897年(明治30年)私立銀行に転換後は取締役を務めた[1]

同年9月には新潟県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[4]1904年(明治37年)9月28日まで務めた[3]

親族

脚注

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注釈

  1. ^ 第四銀行の前身行のひとつ。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 金井 1899, 新潟県 五十嵐甚蔵君.
  2. ^ a b 日本現今人名辞典発行所 1903, いノ51頁.
  3. ^ a b c 衆議院、参議院 1960, 178頁.
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、9頁。
  5. ^ 人事興信所 1915, い45頁.

参考文献




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