二本榎の碑とは? わかりやすく解説

二本榎通り

(二本榎の碑 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 16:13 UTC 版)

二本榎

二本榎通り(にほんえのきどおり)とは、東京都港区高輪一丁目高輪二丁目の間、および高輪三丁目を通る道の名称である。 この通りは旧東海道をなし、三田四丁目方向に向かうと、伊皿子坂上を経て、「聖坂」と名称を変える。

名称の謂れ

江戸時代、上行寺(現在の高輪1-27明治学院体育館の場所に存在)門前に「」の木が2本あったことからこの名が付いた。当の榎はその後、移植され複数現存している。

二本榎の碑

石碑

二本榎通り沿いの高輪二丁目の承教寺の山門前に、二本榎の碑という碑が存在する。 碑は自然石をそのまま応用したものである。寺への通路を挟んで向かい側に英一蝶の碑が建てられている。

碑の傍に碑の由来沿革を説明する立て看板が立てられている。書かれている内容は

  • 「二本榎」の地名の謂れ。
  • 1967年昭和42年)に二本榎通りを挟んで向かい側にある「黄梅院」の境内に夫婦の榎を植え、石碑を建てた旨の説明。
  • 1990年平成2年)に碑を現在の場所に移したが、は現在も「黄梅院」に残っている。
  • この碑が町内住民にとって大切な象徴であること。

である。

参考文献

  • 現地説明板 高輪二本榎町会/設置

二本榎の碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 06:02 UTC 版)

二本榎通り」の記事における「二本榎の碑」の解説

二本榎通り沿いの高輪二丁目承教寺山門前に、二本榎の碑という碑が存在する。碑は自然石そのまま応用したのである。寺への通路挟んで向かい側英一蝶の碑が建てられている。 碑の傍に碑の由来沿革説明する立て看板立てられている。書かれている内容は 「二本榎」の地名謂れ1967年昭和42年)に二本榎通り挟んで向かい側にある「黄梅院」の境内夫婦植え石碑建てた旨の説明1990年平成2年)に碑を現在の場所に移したが、は現在も「黄梅院」に残っている。 この碑が町内住民にとって大切な象徴であること。 である。

※この「二本榎の碑」の解説は、「二本榎通り」の解説の一部です。
「二本榎の碑」を含む「二本榎通り」の記事については、「二本榎通り」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「二本榎の碑」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二本榎の碑」の関連用語

二本榎の碑のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二本榎の碑のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの二本榎通り (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの二本榎通り (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS