亀田綾瀬とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 亀田綾瀬の意味・解説 

亀田綾瀬

読み方かめだ りょうらい

江戸後期儒者江戸生。斎の長子。名は長、字は木王、通称三蔵別号に学経堂。父に学ぶ。下総関宿藩儒臣となる。嘉永6年(1853)歿、76才。

亀田綾瀬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/03 13:19 UTC 版)

亀田 綾瀬(かめだ りょうらい、安永7年7月10日1778年8月2日) - 嘉永6年4月14日1853年5月21日))は、江戸時代末期の日本の儒学者。名は長梓、字は木主、通称は三蔵である。

概略

儒学者・亀田鵬斎の一子として江戸に生まれる。学問を父に承け、学塾・学経堂を設けて子弟を教えた。最初は浅草の蔵前に、のちには日本橋本材木町に開塾し、晩年には深川に移る[1]。藩主久世氏に招かれ関宿藩の藩校・教倫館の儒官となっている。嘉永6年(1853年)4月14日に死去。享年76。墓は台東区今戸称福寺。後継者は養子の亀田鶯谷。門弟として芳野金陵・圓山北溟・並木爽山・出井貞順・新井稲亭・中島撫山らがいる。

「身の丈五尺四五寸、白髪隆準、温顔の中、眼光人を射るを覚ゆ」と弟子の一人に伝えられる[1]。父・鵬斎が豪快な人柄であったのに対し、綾瀬は温厚篤実の君子として知られ、学問・文章ともに優れ、書は草体に巧みであった[2]

著書

  • 『綾瀬先生遺文』(嘉永7年(1854年))
  • 『学経堂文集』(未刊)

脚注

  1. ^ a b 村山吉廣『評伝・中島敦』中央公論新社、2002年、33頁。 
  2. ^ 村山吉廣『評伝・中島敦』中央公論新社、2002年、34頁。 

参考文献



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「亀田綾瀬」の関連用語

亀田綾瀬のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



亀田綾瀬のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの亀田綾瀬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS