亀井淳 (ジャーナリスト)とは? わかりやすく解説

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亀井淳 (ジャーナリスト)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 05:26 UTC 版)

かめい じゅん

亀井 淳
生誕 (1935-01-12) 1935年1月12日
日本東京都
死没 (2009-05-10) 2009年5月10日(74歳没)
東京都新宿区
死因 肺癌
出身校 慶應義塾大学文学部仏文科
職業 ジャーナリスト編集者
配偶者 亀井よし子
子供 亀井源太郎(長男)
亀井常蔵
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亀井 淳(かめい じゅん、1935年昭和10年)1月12日 - 2009年平成21年)5月10日)は、日本のジャーナリスト編集者。『週刊新潮』編集部次長、日本ジャーナリスト専門学校専任教員を務めた。

人物

東京都出身。鳥取県人・亀井常蔵の長男[1]慶應義塾大学文学部仏文科卒業1957年4月、新潮社に入社。同期に江國滋がいた。

『週刊新潮』編集部には21年在籍し、同誌編集部次長を経て、1978年に退社。フリーとなり、日本ジャーナリスト専門学校専任教員を務めた。

2009年5月10日23時20分、肺癌のため東京都新宿区の病院で死去[2]。74歳没。

ジャーナリストとしての活動

週刊新潮編集部次長の経験を活かしたマスコミ・ジャーナリズムに関する評論のほか、三宅島沖縄における自衛隊米軍基地問題の取材・報告を主たる活動テーマとした。

絶筆は、週刊新潮「朝日襲撃犯」スクープ誤報に関して『ジャーナリスト』2009年4月号に掲載された原稿であり、同稿において、亀井は、週刊新潮の取材姿勢を批判しつつ、週刊誌メディアの重要性を説いている[3]

家族

父は慶應義塾大学予科教授の亀井常蔵[1][4]、妻は翻訳家の亀井よし子[5]、長男は法学者・慶應義塾大学教授の亀井源太郎

著書

脚注

  1. ^ a b 『人事興信録 第15版 上』カ45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月5日閲覧。
  2. ^ “亀井淳氏死去 フリージャーナリスト”. 共同通信社. 47NEWS. (2009年5月11日). オリジナルの2009年5月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090514153251/http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009051101000484.html 2013年1月3日閲覧。 
  3. ^ 亀井淳ホームページ”. 2016年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月23日閲覧。
  4. ^ 亀井淳の「遠近法」日録 2003年1月20日 去年今年” (2003年1月20日). 2012年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月24日閲覧。
  5. ^ 亀井淳の訃報記事による。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。

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