九谷庄三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 05:45 UTC 版)
明治16年(1883年)は、寺井村(現在の能美市寺井町)の農家に生まれた。17歳の時に小野窯に陶匠として招聘される。後に窯業の指導に諸国から招かれるが、能登の火打谷(現在の志賀町)で、能登呉須と呼ばれる顔料を発見。後の九谷焼に多大な影響を与える。26歳で故郷に戻り寺井窯を開いた。西洋から入った顔料を早い時期から取り入れ 彩色金欄手を確立し、庄三風と呼ばれる画風は後に西洋に輸出される九谷焼の大半に取り入れられることになる。
※この「九谷庄三」の解説は、「九谷焼」の解説の一部です。
「九谷庄三」を含む「九谷焼」の記事については、「九谷焼」の概要を参照ください。
- 九谷庄三のページへのリンク