九山八海の庭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 14:22 UTC 版)
江戸時代中期に作庭され、久しく荒廃していたものを、昭和を代表する造園家・重森三玲が昭和45年(1970年)に復元した。九山八海(くせんはっかい)とは須弥山を中心に八つの山脈と八つの海がとりまくという仏教の世界観で、遺愛石(いあいせき)を須弥山に見立て、白砂の波紋が山海を表現している。 遺愛石 高さ三尺、横四尺余りの青味をおびた小石で、須弥台の上に設けた四角い石船の中に据えられている。第7世住持の湘雪守沅は肥後熊本の人で、藩主細川忠利と親交があり、湘雪和尚が住職として霊雲院へ移られる時に500石の禄を送ろうとしたが、「出家の後、禄の貴きは参禅の邪気なり。庭上の貴石を賜れば寺宝とすべし」と申された。そこで細川家では、遺愛石と銘じた石を須弥台と石船とともに寄贈した。
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