丹下による平和公園構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 14:25 UTC 版)
「平和大橋 (広島市)」の記事における「丹下による平和公園構想」の解説
平和大通りは、1946年11月に作成された「広島復興都市計画街路」によって計画されたものである。この時に幅100mの道路とすることが決まったが、あくまで橋梁部分は除いたものであった。 1949年5月、広島平和記念都市建設法公布、同年から広島平和記念公園設計協議が始まり、結果丹下健三率いる丹下グループ案が最優秀案として決定した。当初の丹下案は、北は現在の広島市中央公園・南は現在の平和大通りまでを整備する壮大なもので、この中には当時大通りに整備されていた平和大橋・西平和大橋・緑大橋を大通りの中央車道として扱い副道両側にそれぞれ側道橋を架けるものとして考えられていた。
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