丸亀京極子爵家
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最後の丸亀藩主京極朗徹は、1869年(明治2年)に華族に列するとともに版籍奉還で知藩事に転じ、1871年(明治4年)の廃藩置県まで務めた。高徳の代の1884年(明治17年)7月8日に旧小藩知事(丸亀藩は現米3万3120石だったので現米5万石未満の小藩に該当)として子爵に叙せられた。高徳は、現在の北海道虻田郡京極町に農場を拓き、後に町名の由来となった。貴族院の子爵議員も務めた。 昭和前期に丸亀京極子爵家の邸宅は東京市杉並区上荻にあった。
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