中西敏憲とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 中西敏憲の意味・解説 

中西敏憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 03:09 UTC 版)

中西敏憲
なかにし としかず
生年月日 1894年3月9日
出生地 福井県
没年月日 (1982-10-06) 1982年10月6日(88歳没)
出身校 東京帝国大学法学部(英法)(現東京大学)卒業
前職 南満州鉄道理事
現職 福井鉱業社長
共栄印刷社長
所属政党 (翼賛政治会→)
日本進歩党

選挙区 福井全県区
当選回数 1回
在任期間 1942年4月30日 - 1945年12月18日

当選回数 3回
在任期間 1961年11月20日 - 1973年11月19日
テンプレートを表示

中西 敏憲(なかにし としかず、1894年明治27年)3月9日[1] - 1982年昭和57年)10月6日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)、南満州鉄道理事、武生市

経歴

福井県出身。1918年(大正7年)高等試験行政科試験に合格[3]。翌1919年(大正8年)東京帝国大学法学部(英法)を卒業[1][2]。南満州鉄道に入り、地方課長、地方、総務の各部長を経て[2]、理事となる[2]1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では郷里の福井県から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。小磯内閣大東亜参与官となった[1][2]

戦後、推薦議員や南満州鉄道理事のため、公職追放となる[4][5]1951年(昭和26年)に追放解除となる[6]。その後、1961年(昭和36年)から武生市長を3期務めた[1]1974年(昭和49年)に武生名誉市民となった[1]。1982年死去。

この他福井鉱業、共栄印刷の各社長などを務めた[1][2]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』440頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』448頁。
  3. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』221頁。
  4. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。
  5. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、417頁。NDLJP:1276156 
  6. ^ 『朝日新聞』1951年8月7日二面。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中西敏憲」の関連用語

中西敏憲のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中西敏憲のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中西敏憲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS