中村常三郎 (実業家)とは? わかりやすく解説

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中村常三郎 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/16 08:09 UTC 版)

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中村 常三郎(なかむら つねさぶろう、1882年明治15年)8月26日 - 1970年昭和45年)2月2日)は、日本起業家銀行家。石油・肥料商。日州無尽株式会社、宮崎無尽株式会社、宮崎相互銀行(ともに現在の宮崎太陽銀行)の社長を務めた。子に中村地平(治兵衛)。宮崎太陽銀行創業者の1人。

来歴・人物

宮崎師範学校附属小学校卒業。当初は石油・肥料商を本業としていたが、副業として1913年に宮崎貯金株式会社を設立し、同年に仲田房吉(初代社長)らと合流して日州興業貯金株式会社設立に参加する。同社は1915年無尽業法が制定されると日州興業無尽、1929年に日州無尽と商号を変更していくが、この間常三郎は役員として経営に参与するものの、あくまで本業は石油・肥料商であった。

1931年に多田有機の後任として日州無尽の3代目社長に就任した。1941年に日州無尽は日向無尽や高鍋無尽、昭明無尽と合併して宮崎無尽が設立され、1951年相互銀行法の施行に伴い、宮崎無尽を宮崎相互銀行に商号変更し、引き続き社長を務めた。

1961年に社長を退任して、次男の中村治兵衛(地平)に譲り、取締役も退任して宮崎相互銀行の経営から身を引き[1]1970年に死去した。

栄典

脚注

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  1. ^ ただし、治兵衛も翌年に体調不良により宮崎相互銀行社長を退任し、1963年に常三郎に先立ち死去した。

参考文献

  • 「宮崎相互銀行二十年史」(宮崎相互銀行、1963年 、isbn=B000JAFAMY)
  • 「宮崎相互銀行三十年史」(宮崎相互銀行、1972年
ビジネス
先代:
多田有機
日州無尽株式会社社長
第3代:1931年 -1941年
次代:
(合併)
先代:
(合併新設)
宮崎無尽株式社長
1941年 -1951年
次代:
(相互銀行転換)
先代:
(相互銀行に転換)
宮崎相互銀行社長
初代:1951年 -1961年
次代:
中村治兵衛



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