中山光勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 01:54 UTC 版)
勝時の子に「五郎左衛門」某とされるものがあり、これを「光勝」と記述ものもある。ただし、「光勝」と記述する文献はいずれも尾張藩士中山家所蔵の文書を出典としており、この文書は「やなべのあゆみ」で紹介されているように、作成に際し「尾陽雑記」所収の系図を参照していることから、この名は先祖の系にあらわれる「光」と「勝時」から合成されたものと考えられる。また、「寛永諸家系図伝」には勝時の諱が示されておらず、この系譜集の編纂の始まる寛永18年(1641年)頃には、その名前が当時の中山家の記録に存在しなかったようである。この理由として、某(光勝)の血筋は中山家の傍系であり、かつ、その子(重盛)が延宝3年(1675年)に尾張藩士「安井家」から改姓した養子であるため、記録が残っていなかったと考えられる。
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