中小坂鉄山の発見と開発の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 13:46 UTC 版)
「中小坂鉄山」の記事における「中小坂鉄山の発見と開発の開始」の解説
中小坂鉄山が発見された時期については、文献によれば早いものでは天保年間(1830年-1844年)、続いて弘化年間(1844年-1848年)、そして嘉永2年(1849年)、嘉永3年(1850年)、嘉永6年(1853年)とするものが見られる。現在のところ中小坂鉄山の発見時期は確定できないが、嘉永年間(1848年-1854年)との説が有力である。 江戸時代末期に発見されたと考えられる中小坂鉄山は、続いて鉱山開発が開始された。まず鉱山近隣のカベッチャラという場所でたたら製鉄を行ったと考えられる溶鉱炉を仮設し、製鉄を開始したところ良好な結果が出たため、多くの職工を雇い入れ上で字反替戸という場所で本格的な製鉄を開始したが、鉱山経営に不慣れであった上に、設備の不十分さと交通の便の悪さなどにより数年で失敗したと伝えられている。
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