世界記録樹立の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 22:36 UTC 版)
「アウトストラーダ A11」の記事における「世界記録樹立の歴史」の解説
1935年6月15日にタツィオ・ヌヴォラーリがアルトパシオ近くの8kmの直線区間でメルセデスとアウトウニオンに対抗する為にエンツォ・フェラーリにより造られたアルファ・ロメオ16Cビモトーレを使って2つの世界最高速度記録に挑戦した。 挑戦に選ばれた日は強い風が吹いており、少し不運であったが、ヌヴォラーリはともかく挑戦を始めた。彼は、車重1300kgでは150km/hですら非常に困難なところを、冷静で緻密なステアリングさばきにより車を制御した。予期しないことが続いたにもかかわらず、彼は再度の横滑りを立て直し、2つの記録を作った。1km区間の平均車速321.420km/h、および、1マイル区間の平均車速323.125km/hである。「これほどの恐ろしい危険に直面したことはない、ポーで火が付いた日ですらここまで怖くなかった」と彼は後日このイベントを振り返って言った。
※この「世界記録樹立の歴史」の解説は、「アウトストラーダ A11」の解説の一部です。
「世界記録樹立の歴史」を含む「アウトストラーダ A11」の記事については、「アウトストラーダ A11」の概要を参照ください。
- 世界記録樹立の歴史のページへのリンク