不穏な結婚生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 15:03 UTC 版)
1907年(明治40年)には石部実業補習女学校を退職し、帝国海軍軍人の清水三蔵と結婚。願ってもない良縁を得ただいは海軍将校の若奥様としての華やかな生活を夢見たが、三蔵が突然海軍を退官したことで二人して桜井村に出戻った。1911年(明治44年)には桜井村から碧海郡安城町(現・安城市朝日町)に転居し、近在の娘に裁縫を教える中で女学校の設立を決意、1912年(明治45年)には安城町稲荷に安城裁縫女学校を開校させた。この頃だいは29歳、2児の母であった。
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