上穂波村とは? わかりやすく解説

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上穂波村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/16 15:06 UTC 版)

かみほなみむら
上穂波村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 新設合併
上穂波村内野村大分村(大分・内住)→ 筑穂町
現在の自治体 飯塚市、嘉穂郡桂川町
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 福岡県
嘉穂郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 10,644
(『角川日本地名大辞典 40 福岡県』410頁、1950年)
隣接自治体 大分村、桂川町、内野村、筑紫郡筑紫野町
上穂波村役場
所在地 福岡県嘉穂郡上穂波村長尾
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上穂波村(かみほなみむら)は、福岡県嘉穂郡にあった。現在の飯塚市、嘉穂郡桂川町の一部。

地理

嘉穂盆地の南西部に位置していた。東部から中央部は穂波川流域の平地で、西部は三郡山の北東麓である[1]

歴史

沿革

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、穂波郡阿恵村、山口村、馬敷村、元吉村、長尾村、北古賀村、平塚村が合併して村制施行し、上穂波村が発足[1][2]。役場を元吉に開設[1]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 嘉穂郡に所属[1]
  • 1904年(明治37年)- 役場を長尾に移転[1]
  • 1954年(昭和29年)8月31日 - 大字平塚の一部を嘉穂郡桂川町に編入[2]
  • 1955年(昭和30年)3月31日 - 嘉穂郡内野村、大分村(一部)と合併し筑穂町を新設して廃止された[1][2]

地名の由来

穂波郡の上部に位置したことから[1]

産業

主要産業は農業、石炭採掘[1]

石炭業

  • 1907年(明治40年)- 麻生坑、豆田坑開坑[1]
  • 1921年(大正10年)- 上記閉山[1]
  • 1926年(大正15年)- 嘉穂鉱業上穂波坑が開設され1929年(昭和4年)から開業[1]

交通

鉄道

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『角川日本地名大辞典 40 福岡県』410頁。
  2. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』220頁。

参考文献

関連項目




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