三河三都とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:44 UTC 版)
西尾商工会議所は「豊橋・岡崎・西尾で、三河三都なり」と主張している。1932年(昭和7年)発行の『西尾町史 第3巻』の序文に、「吉田岡崎と共に参河三市としてその繁栄を誇りたり」という記述が見える。吉田は豊橋市のこと、岡崎は岡崎市のことである。いずれも1932年(昭和7年)以前に市制施行していたが、当時の西尾町は市制施行前であり、参河三市という表現はおかしなものである。また、豊橋出身の夏目重蔵の三河名所図絵(江戸末期)に、三都流行、吉田岡崎西尾は本国鼎の如く、各其繁盛を争う、という記述もあると、西尾町史に紹介されている。
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