三宅家時代とは? わかりやすく解説

三宅家時代(1604年 - 1619年、1636年 - 1664年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 15:12 UTC 版)

挙母藩」の記事における「三宅家時代(1604年 - 1619年1636年 - 1664年)」の解説

慶長9年1604年)、武蔵国から三宅康貞祖先ゆかりの地である三河国加茂郡衣に入部し、衣藩1万石がはじまった三宅家それまでの衣城を廃し現在の豊田市元城町付近に陣屋構える。これは矢作川水運岡崎藩尾張国信濃国への交通の要所をおさえる意味もあり、陣屋中心に7か町を形成した元和5年1619年)、2代・康信は2,000石を加増の上伊勢亀山藩領地替えされる。寛永13年1636年)、3代・康盛が再び1万2,000石で衣城主となる。さらに寛文4年1664年)、4代康勝時代三河田原藩へ再び領地替えになり、以後衣の地を治めことはなかった。

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