三ツ山古墳とは? わかりやすく解説

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三ツ山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 13:49 UTC 版)

三ツ山古墳

墳丘(右に後円部、左奥に前方部)
別名 三ッ山古墳
所在地 愛知県豊橋市牟呂町字坂津
(三ツ山児童公園内)
位置 北緯34度45分34.45秒 東経137度21分42.93秒 / 北緯34.7595694度 東経137.3619250度 / 34.7595694; 137.3619250座標: 北緯34度45分34.45秒 東経137度21分42.93秒 / 北緯34.7595694度 東経137.3619250度 / 34.7595694; 137.3619250
形状 前方後円墳
規模 墳丘長37m
埋葬施設 後円部:横穴式石室
前方部:無袖式横穴式石室
出土品 大刀・短刀・馬具・鉄鏃・須恵器土師器埴輪
築造時期 6世紀前半
史跡 なし
地図
三ツ山古墳
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三ツ山古墳(みつやまこふん、三ッ山古墳)は、愛知県豊橋市牟呂町にある古墳。形状は前方後円墳。史跡指定はされていない。

概要

墳丘
2022年9月25日撮影。
前方部石室 開口部
2022年12月25日発掘調査現地説明会にて撮影。
出土品
豊橋市美術博物館展示(他画像も同様)。

愛知県東部、豊川下流域左岸の低位段丘縁辺部に築造された古墳である。かつては周辺に小古墳6基が分布したが、現在は本古墳のみが遺存する[1]1998-2000年度(平成10-12年度)に発掘調査が実施されている。

墳形は前方部が発達した前方後円形で、前方部を北西方向に向ける。墳丘は2段築成[2]。墳丘表面では円筒埴輪形象埴輪(人物埴輪)が検出されている[2]。また墳丘周囲には周溝が巡らされる[2]。埋葬施設は、後円部・前方部における横穴式石室各1基である。後円部石室は大きく破壊されているが、前方部石室は無袖式の石室であり、大刀1・短刀1・馬具(轡1)・鉄鏃50本以上・須恵器(脚付有蓋壺・提瓶)・土師器(壺)が検出されている[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀前半頃と推定される[2]

現在では石室は埋め戻されている。

遺跡歴

  • 測量調査(豊橋市教育委員会、1993年に報告)。
  • 1998-2000年度(平成10-12年度)、発掘調査(豊橋市教育委員会、1999・2000・2001年に概報刊行)。
  • 2022年度(令和4年度)、発掘調査(豊橋市文化財センター)。

墳丘

墳丘の規模は次の通り[2]

  • 墳丘長:37メートル(または36メートル[1]
  • 後円部 直径:18.5メートル
  • 前方部 幅:28メートル

脚注

  1. ^ a b c 三ツ山古墳(豊橋市美術博物館)。
  2. ^ a b c d e 三ツ山古墳(続古墳) 2002.

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 「三ツ山古墳」『古墳測量調査1(豊橋市埋蔵文化財調査報告書 第17集)』豊橋市教育委員会、1993年。 
  • 『三ツ山古墳調査概要(I)-平成10年度-』豊橋市教育委員会、1999年。 
  • 『三ツ山古墳調査概要(II)-平成11年度-』豊橋市教育委員会、2000年。 
  • 『三ツ山古墳調査概要(III)-平成12年度-』豊橋市教育委員会、2001年。 

外部リンク




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