一式七粍九旋回機銃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 08:04 UTC 版)
![]() 米軍資料に掲載された一式七粍九旋回機銃 | |
一式七粍九旋回機銃 | |
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種類 | 航空機関銃 |
製造国 |
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設計・製造 | 横須賀海軍工廠 |
年代 | 1940年代 |
仕様 | |
口径 | 7.92mm |
銃身長 | 600mm |
ライフリング | 4条右回り[1] |
使用弾薬 | 7.92x57mmモーゼル弾 |
装弾数 | 75発(サドル型ドラムマガジン) |
作動方式 | ガス圧反動式[1] |
全長 | 1,080mm[1] |
重量 | 6.9kg[1] |
発射速度 | 1,000発/分[1] |
銃口初速 | 785m/s[1] |
歴史 | |
配備先 | 大日本帝国海軍 |
関連戦争・紛争 | 大東亜戦争 |
一式七粍九旋回機銃(いっしきななみりきゅうせんかいきじゅう)は、大日本帝国海軍の軍用機に搭載された機関銃(航空機関銃)である。陸軍の九八式旋回機関銃同様、MG 15 機関銃のライセンス生産品。
概要
1940年6月、陸軍の九八式旋回機関銃が仮制式に制定された。これはドイツのラインメタル社のMG 15 機関銃をライセンス生産したもので、MG15は従来の九二式七粍七旋回機銃に比べ発射速度が速く、命中精度が良く、弾丸威力も高かった。
陸軍の採用もあり、海軍では1941年(昭和16年)3月に陸軍から図面を譲渡してもらい、国産化を図った。翌1942年(昭和17年)3月に制式採用され、同年4月から量産に入った。1943年(昭和18年)4月から彗星の銃座に装備が開始された。
小型機用の旋回機銃として二式十三粍旋回機銃(ドイツのMG 131 機関銃のライセンス生産品)が開発され次第、逐次交換される予定であったが、この機銃の出現が遅れたため、終戦まで小型機用の旋回機銃の主力であった。
使用弾薬は7.92x57mmモーゼル弾である[注釈 1]。弾種は普通弾、徹甲弾、曳光弾、焼夷弾一型、焼夷弾二型(炸裂弾)がある[1]。
- 普通弾薬包一型 普通弾。弾丸重量11.7g。[1][2]
- 曳跟弾薬包一型 曳光弾。弾丸重量9.7g。[1][2]
- 徹甲弾薬包一型 徹甲弾。弾丸重量11.7g。[1][2]
- 焼夷弾薬包一型 焼夷弾。弾丸重量10.4g。焼夷剤(黄燐)0.65gを内蔵。[1][2]
- 焼夷弾薬包二型 特殊焼夷弾(炸裂弾)。第一焼夷剤(ヘキソーゲン・ペントリット)0.26g、第二焼夷剤(ヘキソーゲン・アルミニウム)0.70gを頭部に内蔵。[1][2]
脚注
注釈
- ^ 出典不明だが、海軍の一式旋回機銃の使用弾薬を.303ブリティッシュに変更した型があるらしい。
出典
参考文献
- 海軍航空本部『昭和19年3月 飛行長主管兵器(第2類)説明資料(1)』1944年3月。防衛研究所史料室 。
- 岡村純『航空技術の全貌(下)』日本出版協同株式会社、1955年。
- “国本戦車塾 一式七粍九旋回機銃一型”. 2025年4月18日閲覧。
関連項目
- 一式七粍九旋回機銃のページへのリンク