一乗院 (熊谷市)とは? わかりやすく解説

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一乗院 (熊谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 07:30 UTC 版)

一乗院

山門
所在地 埼玉県熊谷市上之2891
位置 北緯36度09分02.2秒 東経139度24分25.4秒 / 北緯36.150611度 東経139.407056度 / 36.150611; 139.407056座標: 北緯36度09分02.2秒 東経139度24分25.4秒 / 北緯36.150611度 東経139.407056度 / 36.150611; 139.407056
山号 光明山[1]
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来[1]
創建年 (伝)建長4年(1252年
開基 栄泉|永仙[1]
中興年 (伝)天文9年(1540年
中興 円清
正式名 光明山一乗院無量寿寺
文化財 大涅槃像(掛軸)、大般若経六百巻、両界曼荼羅、寺号額と格天井
法人番号 6030005013146
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一乗院(いちじょういん)は、埼玉県熊谷市上之にある真言宗寺院である。山号は光明山(こうみょうさん)。

歴史

建長4年(1252年)に意教上人の法流を受けた法印栄泉が開山した。弘安5年(1282年)の法印良寛の代に火災で堂宇を焼失したが、その後再建された。天文9年(1540年)に法印円清が高野山から当寺に移ってきて、住僧となった。昔から無本寺で、門末に四十八ケ寺を持って教学に励んでいた[2]。関東では七檀林の一に数えられた仏教の学問所で、慶長9年(1604年)には、徳川家康から寺領三十石の御朱印を拝領した[3]。高野山金剛三昧院にて、三一世長老の良識より円清に伝えられた意教流の聖教(しょうぎょう)が多数あり、後に真言宗智山派の代表的な学問所である関東十一檀林の一つのある基になったと考えられる[4]昭和7年(1932年)に堂宇を改築、昭和53年(1978年)に鐘楼を建設した[2]

交通アクセス

市道第2北大通線(都市計画道路)北側、熊谷市立成田小学校の南方にある。

脚注

  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 上村.
  2. ^ a b 『埼玉のお寺』(2002年、千秋社、ISBN 4-88477-273-3
  3. ^ 室田好男編『くまがやのお寺さん廻り(熊谷市内寺院140撰)』(2010年、室田好男)
  4. ^ 熊谷市教育委員会 編『熊谷市史 通史編上巻』(2018年、熊谷市) p626

参考文献

関連項目




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